Information 品名 ヴォーヌ ロマネ プルミエクリュ オー・ブリュレ メオ カミュゼ ワイン名(原語) Vosne-Romanee 1er Cru Aux Brulees MEO-CAMUZET タイプ 赤ワイン・フルボディ 内容量 750ml 産地 フランス・ブルゴーニュ 品種 ピノ・ノワール 商品説明 パワフルで信頼できる、立派な主君のようなワイン。
凝縮感とスパイシーな香りが印象的。
ヴォーヌ・ロマネのテロワールに忠実なワインです。
このパワフルさは決して荒々しいものではなく、むしろアフターの”泡立つ”ようなきらめき、複雑さと相俟ってとてもバランスが良いもの。
数あるドメーヌのワインの中でもリシュブールやクロ・パラントゥに次ぐ位置づけとして高い評価を得ているワインです。
備考 気温の高い時期はクール便での配送をお勧めいたします。
MEO-CAMUZET メオ・カミュゼ アンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門 アンリ・ジャイエが小作人としてワインを手掛けたドメーヌ メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まる。
因みにクロ・ド・ヴージョ城はコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タスヴァンに譲られるまで、カミュゼ家の所有であった。
メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑が、城の周囲と真下という、もっとも素晴らしい位置を占めているのはそうした理由からだ。
エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年、近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなった。
ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権の閣僚という要職にあり、直接、ドメーヌの管理をするわけにはいかない。
畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。
この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエだ。
アンリ・ジャイエから指導を受けたジャン・ニコラ・メオ 1980年代半ば、折半耕作の契約が切れると同時に、小作人たちも引退の時を迎えてメオ家の元にブドウ畑を返還。
1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まった。
やがてパリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュに赴くことになったのがジャンの息子、ジャン・ニコラ・メオである。
1964年生まれ。
商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた、生粋のパリジャン。
1989年、24歳にしてドメーヌを託された。
表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエも、ドメーヌのコンサルタントとして若きジャン・ニコラの指導にあたったという。
リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに、2010年ヴィンテージからペリエールとヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑。
戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。
宝石のようなクリマの数々を、このドメーヌは有している。
ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。
醸造法はジャイエ譲りで、完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。
樽熟成における新樽率は、村名で50%、1級畑が60〜65%、特級が100%である。
メオ・カミュゼのワインをより幅広く提供できるようしたネゴス部門 またジャン・ニコラは「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前でネゴシアンビジネスも行っている。
マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュなど、ドメーヌもののヴォーヌ・ロマネを補う形でコート・ド・ニュイのアペラシオンを余すことなく網羅。
これらの中には短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているクリマも少なくない。
また、ブドウやマストを買い付ける場合でも、夏季剪定や収穫時の選果を行い、品質の安定を図っている。
ドメーヌもののワインがその希少価値から入手困難であり、価格の壁も高いことから、比較的手頃な値段でメオ・カミュゼの哲学が楽しめるネゴスものの存在は、ワイン愛好家はもちろん、レストランにとってもありがたい存在といえるだろう。
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